フォンデュラク(英: Fond du Lac)は、アメリカ合衆国のウィスコンシン州、フォンデュラク郡にある都市。ウィネベーゴ湖の南端に面することから、地名はフランス語で「湖の底」を意味する[1][2]。人口は4万2203人(2000年国勢調査)。隣接するフォンデュラク町は別のコミュニティである。
国勢調査局の指定するフォンデュラク大都市統計地域の中心である。同地域はフォンデュラク郡全域をカバーしており、人口は9万7296人を数える(2000年国勢調査)。全米で342番目に大きい大都市統計地域 (MSA) で、ビーバーダム小都市統計地域と併せてフォンデュラク=ビーバーダム混合統計地域と呼ばれることもある。域内の主要都市にはほかにリポンやウォーパンが挙げられる。2006年にクイント・プレスが公表した「都市犯罪ランキング」では、全米で最も治安のよい都市圏に選ばれた[3]。
ヨーロッパ人探検家が到達するまでの長きにわたり、一帯には先住民が暮らしていた。ウィネベーゴ湖の南端に初めて到達した白人はフランス人猟師であった。
ミシガン準州西部で連邦裁判官を務めたジェームズ・ドーティーは、ウィネベーゴ湖畔には将来大都市が生まれるだろうと考え夫妻で土地を購入した。1836年にはウィスコンシン準州議会でジョン・アーントが州都のフォンデュラク遷都を提案したが却下され、代わりにドーティーのマディソン案が採用された。
最初の入植者はコルワートとファナのピア夫妻であった。1843年に学校が設立され、1852年には鉄道が開通した。
国勢調査局によると市の総面積は47.1平方キロ(18.2平方マイル)で、うち43.7平方キロ(16.9平方マイル)を陸地が、総面積の7.31%にあたる3.4平方キロ(1.3平方マイル)を水域が占める。
[編集] 人口動静
人口推移 |
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年度 | 人口 | | 変動率 |
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1860 | 5,460 | | — |
1870 | 12,764 | | 133.8% |
1880 | 13,094 | | 2.6% |
1890 | 12,024 | | −8.2% |
1900 | 15,110 | | 25.7% |
1910 | 18,797 | | 24.4% |
1920 | 23,427 | | 24.6% |
1930 | 26,449 | | 12.9% |
1940 | 27,209 | | 2.9% |
1950 | 29,936 | | 10.0% |
1960 | 32,719 | | 9.3% |
1970 | 35,515 | | 8.5% |
1980 | 35,863 | | 1.0% |
1990 | 37,757 | | 5.3% |
2000 | 42,203 | | 11.8% |
2009(推計) | 42,340 | | 0.3% |
出典:[4] |
フォンデュラクはフォンデュラク大都市圏(フォンデュラク郡)とビーバーダム大都市圏(ドッジ郡)から成るフォンデュラク=ビーバーダム合同統計地域 (CSA) の中心都市である[5][6][7]。このCSAの人口は18万3193人(2000年)である[8]。
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